末広尚希がやっていたバンド「gulff」とは?どんな歌?不正受給で話題

ニュースでよく名前を聞くようになった、保育園グループ「ライオンの子保育園」の創業者・末広尚希さん。
不正受給問題で一気に注目を浴びた人物ですが、実は彼、昔はロックバンドでメジャーデビューも果たしていたって知ってました?
しかも、ただの趣味バンドではなく、CMソングやテレビのエンディングテーマにも起用されるなど、かなり本格的に活動していた様子。
今回はそのバンド「gulff(ガルフ)」について掘り下げてみましょう。
末広尚希さんの意外な過去!gulffってどんなバンド?
バンド名の「gulff」は、崖を意味する“gulf”を語源にした造語。曰く、「獅子の子が千尋の谷を這い上がって百獣の王になる」というイメージから付けられたそう。
つまり、自分たちの音楽で崖っぷちから這い上がっていく、そんな強い決意が込められているんですね。
メンバーは全員沖縄出身。宮古島の高校の同級生である末広さんと池間さんが、アメリカのロカビリーバンド「Stray Cats」のコピーをしていたのが結成のきっかけ。
そこからバンドはどんどん勢いを増し、地元タワレコ那覇店ではインディーズアルバムが1位を取るほどの人気に。
「え?そんなにガチだったの?」と驚く人もいるかもしれませんが、gulffは本当に“売れていた”バンドだったんです。
CMソングにも抜擢!gulffの代表曲たち
gulffの楽曲は、さまざまなメディアで起用されてきました。たとえば…
- 「未知なる道」:JTA(日本トランスオーシャン航空)のキャンペーンソングに起用
- 「デイゴの赤の輝く下に」:テレビ東京系「ALOHA SURF TV」のEDテーマ
- 「NO DIVE NO LIFE」&「母なる大地 父なる空へ」:au沖縄のCM曲
- 「花言葉」や「Too Young To Die」:高校野球のイメージソングに採用
沖縄をベースに活動しつつも、全国区のメディアでもしっかり存在感を放っていたのがわかります。曲のタイトルからも、どこか沖縄の自然や文化、情熱が伝わってくるようなものが多いですよね。
メジャーデビューと母校ライブ!地元で愛された存在
2006年、gulffは「風ノ女神」というシングルでついにメジャーデビュー。
しかもその記念ライブは、末広さんの母校・宮古高校で開催され、なんと約5,000人ものファンが集まったそう。
高校の体育館で5,000人って、ちょっと規模おかしくない?と思うくらいの大盛況っぷり。gulffがどれだけ地元の人たちに愛されていたかがわかるエピソードです。
芸能活動で磨いた“発信力”?今の姿と重なる部分も…
保育園経営者として再び世間に現れた末広尚希さん。
SNSを積極的に活用し、「見える保育室」などのキャッチーなアイディアを次々に打ち出していた姿には、gulff時代に培った“見せ方のうまさ”がどこかに垣間見える気がします。
芸能活動時代に、カメラの前でどう振る舞うか、どう言葉を届けるかを肌で学んだ経験が、現在の「保育革命家」イメージ作りに活かされていたのかもしれません。
ただのバンドじゃなかった。gulffは“物語”だった?
gulffの楽曲や活動には、「這い上がる力」や「自然と共に生きる精神」が込められていて、それはそのまま末広さんの人生観にも通じているように思います。
でも、今回の保育園をめぐる問題で、その“物語”は大きく傷ついてしまいました。
理想を掲げ、注目を集め、そこから道を踏み外した末広さんの姿には、「表の顔と裏の顔」のギャップに落胆している人も少なくないでしょう。
まとめ!gulffの音楽に込められた想いは本物だったのか?
バンド「gulff」は、夢に向かって真っすぐに走る若者たちの象徴でした。
沖縄の風を感じさせる楽曲、地元愛、音楽で社会とつながろうとする姿勢――それ自体は決して嘘ではなかったはずです。
だからこそ、「なぜこんなことになったのか」と思ってしまう人も多いのかもしれません。
音楽の力で誰かを元気にしていた彼が、今度は別の形で世間を騒がせてしまった。それは本当に残念なことです。
今後どういった責任を取るのか、そしてgulff時代のように、もう一度“這い上がる”ことができるのか。その動向に注目していきたいところです。
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