【どんな人?】飯島一暢氏とは何者⁉経歴とフジテレビとの深すぎる因縁
「次期フジテレビ社長は一体誰になるのか?」
テレビ業界のみならず、世間一般でも何かと話題になるテレビ局のトップ人事。特にフジテレビといえば、その動向は常に注目を集めています。
そんな中、まことしやかに囁かれているのが、飯島一暢(いいじま かずのぶ)氏の名前です。
「飯島…?誰?」
そう思われた方も少なくないでしょう。確かに、表舞台に頻繁に登場する人物ではありません。
しかし、彼の経歴を紐解いていくと、フジテレビとの間に想像以上に深く、そして重要な繋がりがあることが見えてくるのです。
今回は、飯島氏の知られざる素顔と、フジテレビとの切っても切れない関係を徹底的に深掘りしていきます。
三菱商事からフジテレビへ!飯島一暢氏は衛星通信革命の立役者
飯島氏は1947年、東京都に生まれました。早稲田大学教育学部を卒業後、三菱商事に入社。そこで鉄鋼畑を歩みます。
しかし、彼のキャリアを大きく変える出来事が起こります。1980年代後半、各財閥系商社がこぞって参入していた衛星ビジネス。
その中で、三菱グループはフジテレビと手を組むことになったのです。
このプロジェクトの三菱側の担当者こそ、当時、宇宙通信(三菱商事、三菱重工、三菱電機などが出資)の営業部長だった飯島氏でした。
飯島氏が仕掛けた「衛星通信革命」とは?
ここで飯島氏が果たした役割は、まさに革命的でした。
彼はアメリカの先進的なSNG(衛星ニュース中継)専門会社にフジテレビの技術陣を連れて行き、最先端の技術を見学させたのです。
これにより、通信衛星を使った中継が手軽にできることを確信した技術スタッフと飯島氏は、三菱グループの技術を結集し、フジテレビ専用の衛星通信システム「フジサテライト(FSAT)」を構築。
全国の系列局に同仕様の車載局を配備するという、当時としては画期的なプロジェクトを成功させたのです。
このFSATは、1990年7月から運用が開始され、フジテレビの報道体制を大きく進化させました。
まさに、飯島氏はフジテレビの報道のあり方を大きく変えたキーパーソンと言えるでしょう。
ライブドア事件での辣腕交渉!飯島一暢氏は経営手腕を発揮
このFSAT構築後、1997年に飯島氏はフジテレビジョンに転社。まさに、衛星通信革命の立役者として、フジテレビに迎え入れられたと言えるでしょう。
その後、飯島氏はフジテレビで様々な要職を歴任します。特に注目すべきは、2005年に発生したライブドアによる敵対的買収事件です。
当時、企画調整局長だった飯島氏は、ライブドアとの折衝にあたり、その辣腕ぶりを発揮しました。
この一件で、彼の経営手腕は社内外に広く知られることとなります。まさに、危機管理能力と交渉力も兼ね備えていることを証明したと言えるでしょう。
飯島一暢氏サンケイビル社長としての手腕 – ホテル事業を「第4の柱」に
2012年にサンケイビル社長に就任した飯島氏の手腕は、同社の事業展開にも大きな影響を与えています。特に注目すべきは、ホテル事業への本格参入です。
グランビスタホテル&リゾート買収の舞台裏
2015年、サンケイビルは企業再生ファンドのジェイ・ウィル・パートナーズと組み、グランビスタホテル&リゾートを買収しました。
この買収について、飯島氏は「都心の土地の流動性が下がり、主力のオフィス賃貸事業が足踏み状態であることへの打開策」と説明しています。
つまり、オフィス賃貸事業に次ぐ「第4の柱」として、ホテル事業を位置づけたのです。
グランビスタは札幌グランドホテルや鴨川シーワールドなど、各地の名門ホテルや観光施設を保有・運営しており、この買収によってサンケイビルはホテル運営のノウハウを獲得。
さらなる事業拡大、ひいては国の地方創生にも貢献していくことを目指しました。
また、フジ・メディア・ホールディングスがお台場で進める統合型リゾート施設(IR)の開発構想にも、この経験が役立つという見通しもありました。
この買収により、サンケイビルの売上高は約870億~880億円程度に拡大し、1000億円の大台も視野に入ってきました。
まさに、M&A(企業の合併・買収)によって企業規模を大きく成長させた好例と言えるでしょう。
池袋再開発事業への参画
さらに、飯島氏が社長を務めるサンケイビルは、豊島区役所跡地の再開発事業において優先交渉権者に選ばれています。
池袋は都心の中でも再開発が遅れていた地域でしたが、飯島氏はその潜在力に着目。映画館を含む7つの劇場が入居するビルを建設する計画を立て、文化の発信地としての池袋の復活を目指しています。
このプロジェクトには、フジ・メディア・ホールディングスが持つ企画力への期待も込められていると言われています。
飯島一暢氏サンケイビル社長を経て…次期フジテレビ社長への期待
2012年、飯島氏はフジ・メディア・ホールディングス傘下のサンケイビル社長に就任。
グランビスタ ホテル&リゾートを完全子会社化するなど、経営者として実績を重ねていきます。
その後、海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)の会長も務めました。
なぜ今、飯島氏が注目されているのか?
そして現在、飯島氏の名前が再び注目を集めているのは、次期フジテレビ社長候補として名前が挙がっているからです。
衛星通信革命の立役者としてフジテレビに貢献し、ライブドア事件では辣腕を振るった飯島氏。その経歴は、フジテレビの社長として申し分ないと言えるでしょう。
フジテレビとの深い繋がり、そして経営者としての実績。これらの要素が、彼を次期社長候補として有力視させる要因となっていることは間違いありません。
飯島一暢氏のプロフィール
まずは、飯島氏の基本的なプロフィールを確認しておきましょう。
- 氏名: 飯島 一暢(いいじま かずのぶ)
- 生年月日: 1947年1月4日(78歳)
- 出身地: 東京都
- 最終学歴: 早稲田大学教育学部卒業
飯島一暢氏の経歴
ここで、飯島氏のこれまでの経歴を年代別に詳しく見ていきましょう。
- 1972年(昭和47年)4月: 三菱商事入社
- 1979年(昭和54年)5月: 米国三菱商事ロスアンゼルス支店勤務
- 1981年(昭和56年)12月: 三菱商事鉄鋼輸出部
- 1985年(昭和60年)12月: 宇宙通信出向
- 1991年(平成3年)6月: 宇宙通信取締役営業本部長
- 1995年(平成7年)4月: 三菱商事メディア放送事業部長
- 1997年(平成9年)5月: フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)入社
- 1997年(平成9年)6月: ジェイ・スカイ・ビー出向(放送本部長)
- 1999年(平成11年)6月: フジテレビジョン経営企画局長
- 2000年(平成12年)10月: サテライト・サービス代表取締役社長
- 2001年(平成13年)6月: フジテレビジョン執行役員経営企画局長&ストリーミングフィールドマネージャー
- 2004年(平成16年)6月: WOWOW取締役
- 2005年(平成17年)7月: WOWOW上席執行役員総合調整局長
- 2006年(平成18年)6月: WOWOW取締役経営企画局長
- 2007年(平成19年)4月: スカパーJSATホールディングス取締役
- 2008年(平成20年)6月: フジテレビジョン常務取締役
- 2009年(平成21年)10月: フジ・メディア・ホールディングス常務取締役
- 2012年(平成24年)6月: サンケイビル代表取締役社長兼社長執行役員
- 2013年(平成25年)11月: 海外需要開拓支援機構(クール・ジャパン推進機構)代表取締役会長
- 2018年(平成30年)6月: 海外需要開拓支援機構会長を退任
- 2021年(令和3年)6月: WOWOW、スカパーJSATホールディングス取締役を退任
- 2021年(令和3年)6月: 産業経済新聞社監査役に就任
まとめ:今後の展開に注目
もちろん、これはあくまで噂に過ぎません。しかし、彼のこれまでの功績とフジテレビとの深い繋がりを考えると、次期社長候補として名前が挙がるのも頷けます。
今後のフジテレビの動向、そして飯島氏のキャリアから目が離せません。
この記事を読んだあなたは、きっと誰かにこの話を伝えたくなるはずです。
飯島一暢氏の物語。今後の展開に注目していきましょう。