久米田康治先生は生前葬をしていた!?サンデー小学館との確執の噂について
人気漫画家・久米田康治先生が「生前葬」をしているって本当!?
本当です!
自身の漫画賞受賞を記念して行なった「生前葬」。
その異様な儀式の裏には、どんな思いが隠されていたのでしょうか?
そして、ネット上には久米田康治先生とサンデー(小学館)との確執の噂があります。
いったい何があったのか・・・
今回は、生前葬の真相や、サンデーからマガジンへの移籍の理由など、様々な角度から深堀りしていきます。
久米田康治先生の「生前葬」はどんな内容だったのか
2007年、講談社漫画賞少年部門を受賞した漫画家・久米田康治先生。
その受賞を記念した2次会が、なんと「生前葬」という異様な形で執り行われたことは、当時大きな話題となりました。
なぜ生前葬?その裏側には…
一体なぜ、久米田先生は生前葬を行ったのでしょうか?
本人は、
「今まで縁のなかったアニメ化や賞受賞など幸運が続いたので、逆に不運が訪れそう」
と厄払いの意味合いがあったと語っています。
生前葬は、まるで本物の葬儀さながら。
僧侶による読経、焼香、そして「週刊少年マガジン」と「週刊少年サンデー」の両編集長による弔いの言葉まで。
戒名まで「漫画院暗闇之助」と名付けられ、終始笑いに包まれたなか、盛大に行われたそうです。
生前葬の費用は?
この生前葬にかかった費用は、なんと百数十万円!
受賞の賞金100万円を大きく超える金額に、周囲は驚愕しました。
しかし、久米田先生は「賞金以上の出費となった」と笑いながら語っており、その豪快なキャラクターが垣間見えます。
生前葬が招いた意外な出来事
生前葬の様子は、参加した漫画家たちのブログで詳しく紹介され、ネット上でも大きな話題となりました。
特に、ウィキペディアの「生前葬」の項目に自身の名前が掲載されたことには、
「漫画家であることがばれたり生前葬がらみの仕事の依頼が入ったりした」
と驚きを隠せませんでした。
さらに、アニメ「さよなら絶望先生」のオープニング映像では、生前葬の際の遺影写真が使用されました。
監督の新房昭之の名前とテロップが表示されているため、多くの人がこの写真を新房氏のものと勘違いしたという面白いエピソードも。
久米田康治先生の「生前葬」まとめ
久米田康治先生の生前葬は、単なる冗談ではなく、彼の人生の転換期を象徴する出来事と言えるでしょう。
漫画家としての成功、そしてその後の波乱万丈な日々。
彼のユニークな発想と行動力に、読者はこれからも目が離せません。
久米田康治先生のサンデー(小学館)との確執の噂について
久米田康治先生の代表作『さよなら絶望先生』の連載誌が、小学館の『週刊少年サンデー』から講談社の『週刊少年マガジン』へと移籍したことは、当時大きな話題となりました。
なぜ、人気漫画家である久米田先生がこのような移籍をしたのか、様々な憶測が飛び交いましたが、確かな理由は未だに明かされていません。
移籍の噂と真相
ネット上では、久米田先生が『週刊少年サンデー』の編集長と折り合いが悪くなり、連載中の『改蔵』が打ち切られたことが移籍の理由だという噂が流れています。
また、久米田先生がメジャー志向でアニメ化などを望んでいたが、サンデーでは叶えられそうになかったため、マガジンに移籍したという説も有力です。
しかし、これらの噂はあくまで憶測の域を出ません。久米田先生自身も、具体的な理由を公には明らかにしていません。
噂の真偽を検証する
事実としてわかっていることから検証してみます。
サンデーとの関係性
久米田先生の生前葬に、サンデーの編集長が参加していたという事実から、両者の関係が完全に悪化していたわけではないことが伺えます。
また、久米田先生のアシスタントだった畑健二郎さんがサンデーで『ハヤテのごとく!』を連載していたことから、サンデーの作家陣との交流も続いていたようです。
マガジンへの移籍のメリット
マガジンは、同人誌や他誌から魅力的な漫画家を積極的に引き抜くことで知られています。
久米田先生のような人気漫画家を獲得することで、雑誌の発行部数増加に繋がるという狙いがあったと考えられます。
久米田先生の意向
久米田先生は、自身の作品がアニメ化されることを強く願っていました。
マガジンは、アニメ化に力を入れている出版社としても知られています。
久米田先生自身は、移籍の理由について明確な答えを出していません。
しかし、自身の作品や読者への想いを語ったインタビューなどから、その心情を推し量ることができます。
噂の結論
移籍当時は、いろんな噂が出たことからトラブルはあったのかもしれません。
しかし、現在はサンデーとの関係は良好であることは間違いありません。
噂はありましたが久米田先生はサンデーで連載をしている事が関係性が良好な証拠ですね。
久米田先生としてはマガジンへの移籍が成功 マガジンに移籍後も、久米田先生は多くの読者から支持され、人気漫画家としての地位を確立しました。
久米田康治さんの簡単なプロフィール
- 名前: 久米田 康治(くめた こうじ)
- 生年月日: 1967年9月5日
- 出身地: 神奈川県
- 学歴: 和光大学人文学部芸術学科卒業
- 職業: 漫画家
特徴と作品
- ギャグ漫画: 下ネタやダジャレを多用したギャグ漫画からスタートし、次第に社会風刺やマニアックなネタを織り交ぜた独特な作風に。
- 代表作:
- 行け!!南国アイスホッケー部: デビュー作。下ネタギャグ漫画の代表作。
- かってに改蔵: 社会風刺や漫画業界ネタを盛り込んだ作品。
- さよなら絶望先生: アニメ化もされた人気作品。哲学的なセリフやパロディが特徴。
- じょしらく: 落語を題材にした作品。ヤスとの共同作品。
- かくしごと: アニメ化もされた作品。漫画家とその娘の日常を描いたハートウォーミングな作品。
- 作風:
- 独特な擬音: 「どよんど」「にょんたか」など、独特の擬音を使う。
- パソコンでの制作: 早期にパソコンを取り入れ、デジタル作画を行っている。
- 社会風刺: 時事ネタや社会問題を題材にした作品が多い。
- 漫画家仲間との交流: 同業の漫画家をネタにすることも多く、交流が深い。
作風の特徴
- 初期: 下ネタを多用したギャグ漫画。
- 中期: 社会風刺やマニアックなネタを盛り込み、読者を考えさせるような作品に。
- 後期: 独特のキャラクターや世界観で、読者を笑わせ、考えさせる作品を描き続けている。
その他
- 生前葬: 2007年に「不運を払う」ために生前葬を行った。
- アシスタント: 畑健二郎(『ハヤテのごとく!』作者)など、多くの漫画家を輩出している。
まとめ
久米田康治先生の「生前葬」は、漫画界に大きな衝撃を与え、今も語り継がれています。
そのユニークな発想と行動力、そして成功の裏には、様々なドラマがあったことが分かります。
生前葬は、単なるパフォーマンスではなく、彼自身の変化を象徴する出来事でした。
そして、サンデーからマガジンへの移籍は、より大きな舞台を求めた彼の決断だったと言えるでしょう。
移籍の理由は、編集者との関係性や、作品の方向性など、様々な要因が考えられます。
しかし、確かなことは、久米田先生が常に新しいことに挑戦し、読者に楽しさを提供したいという強い気持ちを持っていたということです。
彼の作品は、私たちに笑いと感動を与え、生きる上で大切なことを教えてくれます。
そして、彼の生き方は、私たちに勇気を与え、自分の人生を前向きに生きる力をくれるでしょう。
久米田康治先生の今後の活躍にも、ぜひ注目していきたいものです。